八日堂の名は今も信濃国分寺の俗称として親しまれている。

八日堂の名は今も信濃国分寺の俗称として親しまれている。

上田市|信濃国分寺

「国泰らかに人楽しみ、災いを除き福至る」を祈願された、天平十三年(741)の聖武天皇の詔は、諸国に七重塔を造り、金光明経・法華経を安置し、国の華と言うべき寺院を創建することを目的とした。
僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺と称し、全国六十六ヶ国と壱岐・対馬の二島に国分寺を建立し、仏教の弘通により国土安穏・万民豊楽を祈願するとともに文化の興隆をはかったのである。
奈良の東大寺が総国分寺として位置づけられ、国を挙げての大事業であった。
地域によっては建設が進まなかった所もあったようだが、上田の地に建てられた信濃国分寺は比較的早い時期に完成したと考えられる。
発掘調査により、僧寺・尼寺ともに当時の伽藍配置や規模がほぼ明らかになっている。

※掲載されている情報については最新の情報とは限りません。
詳しくは公式ホームページをご覧ください。

INFO基本情報

名称 上田市|信濃国分寺
(シナノコクブンジ)
電話 0268-24-1388
住所 〒386-0016 長野県上田市国分1049 アクセス
公式URL http://shinano-kokubunji.or.jp
TEL:0268-24-1388