姫木の森有限会社

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柏原 草山火入れ

柏原 草山火入れ

毎年恒例の白樺湖ビーナスライン沿いの草山の火入れが今年も行われます。
42ヘクタールの場所を朝7時~11時までの4時間をかけて行われます。
この日は別荘付近まで灰が舞ってきたり匂いがします。
雨天の場合は4月23日へ延期されるそうです。

写真は上田市で行われた草焼きの写真です。
ビーナスラインでも同じように煙がすごくなるでしょう


 
 
すいせんまつり 信州国際音楽村

すいせんまつり 信州国際音楽村

 信州国際音楽村すいせん祭りが開催いされます。
期間:平成29年3月25日(土)~4月23日(日)
開園時間:10時 ~ 16時
期間中のイベントは、パンフレットをご覧ください。
開花状況、気候状況により予定は変更となる場合があるそうです。

お問合せ先:0268-42-3436
住所:長野県上田市生田2937-1
URL:www.ongakumura.jp

 
 
平成29年の山車 関ヶ原の戦い 井伊直政先陣を切るの場【桜町第5場】

平成29年の山車 関ヶ原の戦い 井伊直政先陣を切るの場【桜町第5場】

 慶長けいちょう5年(1600)9月15日未明、美濃みの(岐阜県)関ヶ原に徳川家康率いる東軍と石田三成みつなり率いる西軍が布陣した。濃い霧が立ち込める午前8時頃、徳川四天王のひとり井伊直政なおまさは「井伊の赤備え」の先頭で自ら長槍を構えて真っ先に敵陣へと突き進む。それが合図となり天下分け目の大戦おおいくさ火蓋ひぶたが切って落とされた。戦いは東軍が大勝利を収め、徳川の世に大きく舵を切った。井伊家はその後江戸幕府265年を譜代大名筆頭として支えるのである。

 遠江(とおとうみ)(静岡県)浜名湖の北にある井伊(いい)(のや)を治める有力領主井伊家は、戦国時代には今川・武田といった大大名に翻弄(ほんろう)され、当主となる男たちは次々と命を落とし断絶寸前となる。それを乗り越えたのが「おんな城主」となった(なお)(とら)である。井伊直虎こと次郎法師は許婚(いいなずけ)の遺児・虎松(後の直政)の養母として井伊家の未来を(つな)いだ。資源も武力も乏しい土地で、頼るべきは己の知恵と勇気。直虎は、男が決めたルールに従うのではなく、自分の判断で生き方を決め、自らの力で人生を切り開きながら国を治め、幼い世継ぎの命を守ってたくましく生き延び、その後の発展の(いしずえ)を築いた。

 天正(てんしょう)10年(1582)、直虎は戦国を生き抜いた激動の生涯を閉じた。享年46歳頃と推定される。義母として家康の忠臣に育て上げた直政の関ヶ原での活躍を見守っていたことであろう。

 
 
平成29年の山車 第一次上田合戦  神川合戦の場【下町・藤見町第4場】

平成29年の山車 第一次上田合戦 神川合戦の場【下町・藤見町第4場】

武田氏が滅亡し、織田信長も横死すると、上州沼田領を巡って真田氏と徳川氏との間に衝突が起こった。

 家康は真田討伐のため鳥居元忠、大久保忠世ら約七千の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。徳川軍は信濃国分寺付近に兵を展開。これに対して真田方は約千二百であったと言われ、昌幸は上田城に、長男・信幸は砥石城に籠城した。昌幸は、上田城に攻め寄せた徳川方を二の丸で撃退し、さらに追撃を掛けた。

 砥石城の信幸も(せき)止めておいた神川の堤を破って、横合いから攻め込んだ。水が一気に解き放たれた神川が逃げる徳川方の将兵に洪水のように襲いかかった。この真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は千三百人もの戦死者を出したと言われ、一方、真田軍は四十人ほどの犠牲者であった。これが世に言う第一次上田合戦・神川合戦である。

 その後も大久保忠世らの諸将は、小諸城に留まり真田勢と小競り合いを繰り返すも、譜代の重臣石川数正が豊臣家に出奔(しゅっぽん)する事態に至り、完全に撤退した。真田軍は十倍の敵を見事に撃退、“徳川敗北”の報は天下を巡り、“真田恐るべし”と諸大名から一目置かれる存在となった。また、この合戦によって徳川家康の真田氏に対する評価も高まり、結果として本多忠勝の娘である小松姫を真田信幸へ嫁がせて懐柔(かいじゅう)するきっかけともなった。従来、昌幸の次男・信繁はこの時期、上杉氏への人質として越後・春日山城に居たとされている。しかし、最近の考察では、この戦いにおける上杉氏の真田氏への加勢に伴い、上田に帰り、ともに戦っていたとの説も浮上している。今回の場面ではこの説を取り、信繁を登場させている。

 
 
平成29年の山車 天の岩いわ戸と開ひらきの場【中町第3場】

平成29年の山車 天の岩いわ戸と開ひらきの場【中町第3場】

昔、高天原たかまがはらという神々の世界で、あまてらす大御神おおみかみの弟神である須佐すさ之男のおのみことが、田んぼを壊したり、御殿ごてんを汚したりと、乱暴なことをして神々を困らせていました。天照大御神は弟をかばいますが、調子に乗った須佐之男命は乱暴が止まりません。天照大御神は、度を超した乱暴に怒り、天岩戸に隠れてしまいました。

太陽の神様がお隠れになると、世の中は真っ暗闇になり、さまざまな(わざわい)がおこりました。そこで、八百万(やおろず)の神々が(あま)(やす)川原(かわら)というところに集まり、天照大御神に岩戸からお出ましいただくには、どうしたらいいだろうかと相談をしました。その結果、岩戸の前で、にぎやかにお祭りをすることになりました。

 天宇受賣命(あめ(あま)のうずめのみこと)神楽(かぐら)を面白、おかしく舞い踊ると、長鳴鳥(ながなきどり)が鳴き出し、面白い舞を見た神々が、どっと笑い声をあげました。そのどよめきを聞いた天照大御神は、何事が起こったのかと岩戸を少し開けて外を見ようとしました。そのとき、隠れていた怪力の天手力男命(あめ(あま)のたじからおのみこと)が、ぐっと岩戸を押し開くとそのまま遠くへ放り投げ、天照大御神を外にお出しすることができたため、世の中は、再び明るく平和な時代に戻りました。

 このとき、天手力男命が放り投げたのが「戸隠山」であるという話は、日本の神話として昔から語り伝えられています。

 
 
平成29年の山車 あまの岩戸いわとの場【上中町第2場】

平成29年の山車 あまの岩戸いわとの場【上中町第2場】

 

太陽の神、(あま)(てらす)大御神(おおみかみ)が岩戸に()もったので、神々が長老にどうしたらよいか(たず)ねると、暗闇(くらやみ)でもよく鳴くにわとりを岩戸の前に集めて鳴かせるようにいわれ、天宇受売命(あま(あめ)のうずめのみこと)が進み出て岩戸の前にしつらえた舞台にのぼり、にわとりの鳴き声にあわせて舞を舞い始めた。しだいに(きょう)が乗ってくると天宇受売命は身にまとった服を脱ぎ捨てながら舞い、神々は手と(ひざ)をたたいて舞いを盛り上げた。あまりの(にぎ)やかさに岩戸のなかの天照大御神は、「何事だろう。」と隙間(すきま)から(おもて)をのぞき見ると、天宇受売命はのぞいた隙を逃さずに、「あなた様より、もっと(とうと)い神がここにつかわされましたので、みんなが喜んで(さわ)いでいるのでございます。」と声を掛け、他のふたりの神が天照大御神の前に鏡を突き出した。鏡に映った姿が自分自身であるとは知らずに天照大御神が岩戸から身を乗り出すと、天手刀男(あま(あめ)のたじからお)の神がその手を取って岩戸の外へ(みちび)き、同時に別の神が後ろに回って注連縄(しめなわ)を張り、二度と岩戸へ戻れなくして、以前のように明るい平和な日々を送れることになった。

天の岩戸のような神話は、太陽信仰のある多くの国で伝えられている。冬至の頃、太陽の光が最も(おとろ)えた時を意味するもので、春になってまた新しい生命に生れ変わるという季節の移り変わりを物語っている。

 
 
平成29年の山車 鶴の恩返し【上宿第1場】

平成29年の山車 鶴の恩返し【上宿第1場】

 昔々、ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある寒い冬の日、おじいさんは町へたきぎを売りに出かけ、わなにかかって苦しんでいる鶴を見つけ助けてやりました。その夜、だれかがおじいさんの家の戸をたたきました。おじいさんが戸をあけると、美しい娘が、「道に迷ったので、一晩泊めてください。」と言うので、かわいそうに思ったおじいさんは娘を家の中に入れました。その晩から雪はずっと降り続き、外に出ることもできません。その間、娘はおじいさんたちの世話をし、「ひとりぼっちなので、娘にしてください。」と言いました。おじいさんたちは大喜びしました。

 ある日、娘は、「(はた)()ってみます。でも、部屋の中を絶対にのぞかないでください。」と言って部屋にこもり、機を織りました。娘が織った布は美しく、高く売れました。その後、娘の織った布でおじいさんたちは沢山(たくさん)のお金が手に入るようになりました。「娘はどうしてあんな美しいものが織れるのだろう。」とおじいさんたちは約束をやぶり、部屋をのぞいてしまいました。すると、一羽の鶴が自分の羽をぬいて糸の間に織りこんでいました。驚いているおじいさんたちの前に娘が出て来て、「私はおじいさんに助けていただいた鶴です。姿を見られたからには、ここにはいられません。」と言うと、鶴の姿になって舞い上がり、山のむこうに姿を消してしまいました。

 
 

年末年始の温泉営業のお知らせ

  長和町「やすらぎの湯」「ふれあいの湯」の年末年始の営業をお知らせします。

やすらぎの湯
12月31日は18:30受付 19:00終了
1月3日(火)は営業します。

ふれあいの湯
12月31日は18:30受付 19:00終了
1月2日(月)、1月9日(月)営業します。

 
 
和田宿ステーション新そば祭り

和田宿ステーション新そば祭り

 11月3日(木) 長和町で育ったそば粉を使った、新そば限定で500食、500円で食べられます。
和田宿ステーション 386-0701 長野県小県郡長和町和田2884-1
お問合せ先:長和町役場産業振興課農政係
Tel:0268-68-3111

 
 
和紙の里 新そば祭り

和紙の里 新そば祭り

 いよいよ新そばの時期になりました。
毎年恒例 和紙の里、新そば祭が11月5日・6日に開催されます。

11:00~15:00メニュー
・新もりそば 550円
・辛味おろしそば 650円

10:00~15:00メニュー
・屋台ダッタンそば 300円
・天ぷらそば 250円

その他、野外では出張販売も行われています。

 
 
 道の駅収穫祭 マルメロ市

道の駅収穫祭 マルメロ市

10月30日(日)午前10時から午後4時
「道の駅 マルメロの駅ながと」で秋のお祭りが行われます。

マルメロ市では、やすらぎ鍋のお振る舞い・餅つき
チビッコも楽しめるフワフワアトラクションや
スーパーボールすくい、お楽しみ抽選会、青空ヨガなど

天然酵母パンやカレー、焼き鳥、暖かいコーンスープ、
おやきやお団子、屋台そばの販売もあります。

問い合わせ先
長和町観光協会 電話:0268-68-0006

 
 
電気自動車充電環境

電気自動車充電環境

 長和町の道の駅、マルメロで電気自動車の充電が出来るようになりました。
姫木平からは30分ほどかかりますが、2台の対応が出来るようになっています。

 
 
上田市武石子檀嶺神社御柱大祭

上田市武石子檀嶺神社御柱大祭

 上田市無形文化財に指定されている「おねり行列」は、武士や奴に扮し弓、鉄砲、槍、長刀などをたずさえた人が、笛、太鼓に合わせて錬り歩き、演舞を繰り広げる豪華絢爛な行列絵巻です。

おねり行列の歴史は古く、約230年の歴史を誇る御柱大祭の主要な行事で、上田市無形文化財に指定されております。
明日、平成28年4月10日(日曜日)御柱大祭が行われます。
おねり行列は、百万石の大名行列を再現したものといわれ、総勢約三百人が武士や奴に扮し、弓、鉄砲、槍、長刀などをたずさえ、笛、太鼓に合わせて錬り歩き、演舞を繰り広げる豪華絢爛な行列絵巻です。

おねり行列が神社に着くと、木遣とラッパが響き御柱曳きが始まります。樹齢100年、幹まわり2メートル、長さ14メートルの赤松の御柱は、市道から神社の急坂を登り、境内に建立されます。御柱曳きはだれでも参加できます。「さあさあ皆さんお願いだー」の木遣が聞こえたら大勢ご参加ください。

 
 
【中山道ツアー】参加者募集のお知らせです

【中山道ツアー】参加者募集のお知らせです

一昨年開催して好評だった中山道ツアーの募集が始まりました。
今回は春の芽吹きを感じながら新緑の中を歩くそうです

参加費用:1人 2,800円(税込、各回)

参加条件:必ず1日を通して歩く自信のあるかたです

お申込み、お問合せは長和町観光協会までお願いします。
TEL0268-68-0006

 

 
 
スイセンまつり

スイセンまつり

 信州国際音楽村すいせん祭り2016が3月26日~4月17日の予定で開催します。
この期間は色々なイベントや体験お振る舞いなどがあります。
詳しい内容は国際音楽村へお問い合わせください。
連絡先:0268-42-3436
ホームページ:http://www.ongakumura.jp/

 
 
信州上田真田丸大河ドラマ館

信州上田真田丸大河ドラマ館

 平成28年1月17日~平成29年1月15日までNHK大河ドラマ「真田丸」の放送に伴い、真田発祥の地として全国で唯一の大河ドラマ館が建設されました。
この期間にぜひ大河ドラマの世界を体感してください。

開催場所は上田城跡公園です。
詳しいお問い合わせ先は
0268-75-2554

 
 
着氷(ちゃくひょう)とは

着氷(ちゃくひょう)とは

 地上で着氷が発生した場合、木などに付着して重みを増し、枝や幹が曲がったり折れたりする。
車や建物の窓に付着すると透明ではなくなり、見通しが悪くなったりする。地面に付着するとスリップを起こしやすく路線や電線等にも付着し、被害をもたらします。

写真は姫木平で撮影したモミジの枝です。山の木全体がこの様な状態になっています。

 
 
おたや山車 真田信繁の娘 おすへ嫁入りの場 【下町・藤見町第4場】

おたや山車 真田信繁の娘 おすへ嫁入りの場 【下町・藤見町第4場】

いまを遡ること凡そ400年、天下分け目の関ヶ原合戦が行われた。
西軍として上田城で徳川秀忠軍を迎え撃った真田昌幸、信繁(幸村)父子は、歴史に残る大奮戦をしたが、関ヶ原では東軍の徳川方が勝利。西軍は敗戦の憂き目をみた。
信繁の長女、おすへ(阿菊(おきく))は、伯父(或(ある)いは祖父とも伝えられる。)である堀田作兵衛の養女となり、石合十蔵道定のもとへ嫁すこととなった。石合十蔵は小県郡長窪の郷士であり、石合家は後に中山道長久保宿の本陣を務めることになる。おすへが嫁いだいきさつの詳細は不明であるが、敗軍の将となった信繁が娘の身を案じた末のことではないだろうか。
大坂冬の陣の後、夫・十蔵が、信繁、大助父子のことを案じて、信繁、大助父子とともに大坂城に籠る作兵衛に手紙を送り、それに対する信繁からの返書が今に伝わっている。
「此世(このよ)にて面談は有之間敷(これあるまじく)候、何事もすへこと心に不叶(かなわざる)ぎ候共、御見捨無之(おみすてこれなき)やうに頼入(たのみいり)候」
決死の覚悟で徳川方との決戦に臨んでいること、娘に対する深い慈しみの心根が手にとるように伝わる文面である。その後、おすへは、末永く幸せに暮らしたと伝えられている。

 
 
おたや山車 「日本一ひのもといちの兵つわもの」真田幸村公 大坂の陣奮戦の場 【桜町第5場】

おたや山車 「日本一ひのもといちの兵つわもの」真田幸村公 大坂の陣奮戦の場 【桜町第5場】

戦国時代最後の大戦、大坂の陣で天下にその名を轟かせた伝説の戦術家がいた。永禄十年(1567)、信濃の小大名・真田昌幸の二男として生まれた真田信繁(幸村)である。
慶長十九年(1614)冬、大坂城に籠った豊臣方十万に対して徳川方は二十万の兵力で城を囲んだ。幸村は、最も激戦が予想される城外南東部に砦を築いた。徳川諸隊の軍勢をおびき寄せる真田家伝統の戦法の最高傑作「真田丸」である。十二月四日圧倒的に数で勝る徳川方はついに目の上の瘤、真田丸に押し寄せる。幸村はこの機を見逃さなかった。冷静な采配で猛烈な射撃を浴びせ、徳川諸隊を散々に打ち負かしたのである。
しかし、この大勝利を以ってしても戦局を打開することはできなかった。すでに勝利を得ることは絶望的な状況で狙うは徳川家康の首ひとつ。慶長二十年(1615)五月七日、幸村率いる真田赤備え隊が家康本陣に総攻撃をかける。死を賭した幸村の猛攻は徳川旗本衆を蹴散らし、一時家康に切腹を覚悟させるほどであった。
自らの信じる道を貫き通した幸村は、「真田日本一の兵」と称えられることになる。生きて栄華を手にすることはできなかったが、一つの伝説となり今も生き続けている。

 
 
おたや山車 真田幸村 猿飛佐助十勇士 大坂夏の陣の場【上中町第2場】

おたや山車 真田幸村 猿飛佐助十勇士 大坂夏の陣の場【上中町第2場】

徳川家康の戦略で城の堀をすべて埋め尽くされ、難攻不落の大坂城も裸同然の城となってしまった。大坂夏の陣で豊臣方は城を出ての戦いを余儀なくされ、慶長二十年(1615)五月六日戦いの火蓋が切って落とされた。
豊臣方は、後藤又兵衛、薄田兼相らが討ち死にし、木村重成も戦死して、そこへ遅れてやってきた真田隊が伊達一万の軍勢とぶつかり、これを撃破したうえで殿を見事に務め、平野の地蔵堂本陣から大坂城へと引き上げた。幸村は自軍が去れば必ずや家康は地蔵堂に本陣を置くと読み、撤退する際に地蔵堂に爆薬を仕掛けた。案の定、家康は爆薬が仕掛けられているとは知らず地蔵堂を本陣とした。そして、真田軍団猿飛佐助ら十勇士が頃合いを見計らって次々と爆薬の導火線に火を放った。すると大音響とともにお堂は木端微塵に吹っ飛んだ。
智将幸村の起死回生の一策であったが、家康はこの時お堂から離れた草むらで用を足していたので運よく難を逃れた。真田軍団は再び本陣に突入して家康を探したが、姿がなく逃げられてしまっていた。敵の大将家康ただ一人を追い続けた幸村の秘策は報われなかった。

 
 
おたや山車 猿飛佐助修行の場【上宿第1場】

おたや山車 猿飛佐助修行の場【上宿第1場】

信州鳥居峠(上田市)の麓に佐助という少年がいた。猿や鹿などを相手に毎日飛び回っていたが、十歳になった時、「世は戦国の時代だから腕しだいで出世できる。腕を磨くには武術にかぎる。」と武術の稽古を始めた。  ある時、そんな様子を一人の白髪の老人が見ていた。その老人の名は戸沢白雲斎。忍術の大名人と呼ばれた白雲斎は、自分の忍術を授けられる者を探し求め、ここに少年佐助を見出した。白雲斎は佐助の身軽な動きと武術への熱心な心がけに感じ、弟子にした。佐助は鳥居峠でこの奇態な老人から毎日毎夜、一心不乱に忍術・武術を教わった。その甲斐あって、わずか三年ばかりであっ晴れな腕前となった。白雲斎は忍術の極意を伝えた後、白雲と共に東の方に飛び去っていった。  その後、鳥居峠に猪狩りに来た真田幸村(信繁)公と出会った佐助は、幸村公より猿飛佐助の名を与えられて仕え、真田十勇士の筆頭として、戦乱の世に大活躍した。  なお、鳥居峠の近くの角間渓谷(上田市)には、今も猿飛佐助が忍術の修行をしたと伝える岩がある。

 
 
おたや山車 桃太郎 鬼ヶ島遠征の場【中町第3場】

おたや山車 桃太郎 鬼ヶ島遠征の場【中町第3場】

鬼退治で有名な桃太郎の物語は、日本各地に残っており、地方により物語の設定も様々です。この物語の原話は室町時代以前にできたといわれ、主人公のモデルは、日本で一番古い書物の「古事記」に登場する神話上の人物で、吉備国(岡山県全域と広島県、香川県、兵庫県の一部)の平定に活躍した吉備津彦命とする見方が広く知られています。
童話や絵本、童謡により定着しているのは、「川で洗濯をしていたおばあさんが、流れてきた大きな桃を家に持ち帰り、おじいさんと割ってみると、桃の中から男の子が現れた。その子は桃太郎と名付けられ、おじいさんとおばあさんに大切に育てられた。立派に成長した桃太郎は、キビ団子を腰にぶら下げ、鬼ヶ島へ鬼の征伐に向かう。道中、イヌ、サル、キジが家来となり、悪い鬼を退治した。」という話です。
ある企業が、保護者を対象に「お子様に語り継ぎたい童話や昔話は何ですか。」というアンケートを行った結果、「一人では困難なことでも、仲間と一緒に立ち向かうことで、目的を達成できるということを物語から伝えられる。」などの理由から1位になったのは、「桃太郎」でした。
このように桃太郎は、親からも、こどもからも親しまれ、誰でも知っている時代を超えた物語といえます。

 
 
七味売り

七味売り

信濃国分寺八日堂縁日の境内では露店が沢山並び、
その中には昔懐かしい七味売りが買う人の好みに合わせ、
オリジナルの七味を調合をしてくれます。

香りがいいもの、辛いのがいい人、辛みがないもの
お好み次第です。来年はぜひ1度お試しください。

 
 
氷灯ろう 夢祈願

氷灯ろう 夢祈願

平成27年12月25日(金) ~ 平成28年1月31日(日)まで毎日開催
午後4時半~午後9時頃(ロウソクの灯が消える)まで

たいまつで氷灯篭に点灯したいという方は午後4時30分ころに外湯『文殊の湯』前にお集まりください。どなたでも無料で参加できます。

五台橋より向こう側(文殊堂側は)仏の住まう浄土といわれ、智慧を司る菩薩「文殊菩薩」と医薬を司る仏・医王「薬師如来」が祭られています。合格祈願や無病息災を願いながら・・・、また屋根のある橋「五台橋」は“日本版マディソン郡の橋”という人もあり、恋愛成就・縁結び・・・、この際その他何でも願い事を祈願しながら火をともして下さい。

詳しい内容のお問い合わせは:鹿教湯温泉旅館協同組合
 TEL(0268)44-2331
 
  E-mail : kakeyu@kakeyu.or.jp(組合事務局 宛)